星野富弘さんの作品に感銘を受けた理由

Pocket

みなさんこんにちは! シンガーソングライターの宮島久男です。

今回のテーマは僕が感銘を受けた人、星野富弘さんをご紹介したいと思います。

僕が星野富弘さんを知ったきっかけ

僕の母が地元(新潟県)の人たちと群馬県に旅行に行った際に星野富弘さんの美術館に行ったらしく、そこで買ってきた詩集の本を僕に見せてくれました。

そのとき初めて僕は星野富弘さんを知りました。

ちょうどその頃、僕は中学生で学校の部活では機械体操をやっていました。

星野富弘さんも僕と同じく機械体操をされていた人と聞いて、親近感を感じたのを今でも覚えています。

星野富弘さんの紹介

簡単にご紹介すますね。

群馬県内で体育の教師をされていました。

ある日、部活の指導中に着地に失敗し、首の骨を折る大怪我をします。

その時から首から下の体の自由が、きかなくなったのです。

その後、口で筆を加えて書いた花の絵に詩を添える作品を多数作ります。

その作品が話題を呼んで個展を開くほどになります。

そして、地元の群馬県に星野富弘美術館を設立。

多くの方がそこを訪れます。全国各地でも星野富弘展が開かれ、浜松で行われていた個展で僕は衝撃的な感動を受けることになるのでした。

参考までに詳細なプロフィールを載せておきます。

  • 1946年 – 群馬県勢多郡東村(現・みどり市)に生まれる。
  • 1970年 – 群馬大学を卒業し、中学校の体育教師になるが、公務災害(クラブ活動の指導中の墜落事故)で頸髄を損傷、手足の自由を失う。
  • 1972年 – 群馬大学病院入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
  • 1979年 – 入院中、前橋で最初の作品展を開く。9月に退院し、帰郷。
  • 1981年 – 結婚。雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載。
  • 1982年 – 高崎で「花の詩画展」開催。以後、全国各地で開かれる詩画展は現在も続いている。
  • 1991年 – 群馬県勢多郡東村に村立富弘美術館が開館。ブラジル各都市で「花の詩画展」を開催。
  • 1994年 – ニューヨークで「花の詩画展」。
  • 2000年 – ハワイで2度目の「花の詩画展」。
  • 2001年 – サンフランシスコ・ロサンゼルスで花の詩画展。
  • 2003年 – ポーランド国立博物館での「バリアフリーアート展」に招待出品。
  • 2005年 – 4月、富弘美術館新館が開館。
  • 2006年 – 5月、熊本県葦北郡芦北町に芦北町立星野富弘美術館が開館。6月、群馬県名誉県民となる。
  • 2010年 – 11月、富弘美術館の入館者が600万人を超える。

 

 

僕と機械体操

僕も中学生の時に機械体操をやっていて、とても怪我が多かったので星野富弘さんが怪我をされて付随になった事を聞いて、機械体操を続けて行くのが怖くなってきました。

そういった理由もあり、中学生から始めた機械体操を高校生になるときにやめてしまいした。

結局僕は高校生になってからは、バンドと音楽付けの日々を送ることになっていったのでした。

今思えば、それはそれでよかったのかもしれませんね。

 

衝撃を受けた浜松での個展

それからだいぶ、月日が流れたある日。

僕は地方に遠征というか、半分旅行も兼ねて浜松まで行ってストリートライブをやってみることにしました。

そのとき、予定より早く到着したので暇つぶしに駅前のデパートにぶらっと入ってみました。

するとそのデパートの中の、とある場所で星野富弘さんの個展が開かれていました。

僕は中学生のときに星野富弘さんを知って、大人になってからも何となく覚えていたので、その個展に入ってみることにしました。

まず最初に驚いたのは、口でくわえて書いたとは到底思えないほどクオリティの高さでした。

 

とても絵が上手で花の絵の上に詩が書かれていて、どれも素晴らしくて、僕は一枚一枚に釘付けになりながら作品を見て回りました。

そして何枚か見終わった途中で、ある一枚に僕は心を奪われました。

「神様がたった一度だけ、この腕を動かして下さるとしたら、母の肩をたたかせてもらおう」

2001-ぺんぺん草

なんだか、その言葉がものすごくジンときて思わず涙が溢れてきました。

廻りには沢山の人がいたので、廻りの人に気づかれないようにするのが、とても大変でした。

その出来事から感銘を受けて作った僕の曲「青く澄んだ僕の空」をライブで歌うときは、その浜松であった出来事をMCで話してから歌うようにしていました。

その後、しばらくして群馬県に旅行に行く機会があったので実際に星野富広美術館に行ってきました。

とてもすばらしく立派な美術館で、大勢の観光客の方が訪れていました。

僕が感銘を受けた詩と絵が絵葉書として売られていたので、それを買って帰りました。

 

まとめ

星野富弘さんを知って僕は、どんな状況でもポジティブに生きることの大切さを学ばせてもらった気がします。

純粋に母を思いやる富弘さんの精神は僕が作品を作る上で、とても大きな影響を与えています。

みなさんも、もし興味を持たれたら「星野富弘」でまずは検索してみてください。

作詞作曲など、アーティスティックな活動をされている方には必ず得るものがあると思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。